東京高等裁判所 平成4年(う)147号 判決 1992年11月16日
本籍
群馬県桐生市末広町甲一一六二番地の一
住居
東京都豊島区西巣鴨一丁目一九番一七号
医師
山口明志
昭和九年一月一日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成三年一二月四日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官町田幸雄出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年八月及び罰金二億円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金六〇万円を一日に換算した期間(端数は一日に換算する。)、被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人高田治、同神宮壽雄、同島村芳見連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官町田幸雄名義の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。
一 控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反等の主張)について
1 論旨は、要するに、以下のようにいうのである。すなわち、原判決は、その量刑の理由中において、被告人の脱税の元となった株式取引による利益のうち、仕手筋の人物との取引による分は、被告人が仕手筋による株扱いに便乗あるいは協力して得たもので、健全なものとはいえない旨説示し、これを重要視している。原判決のいう仕手筋の人物とは小谷光浩を指しているものと推測されるが、本件証拠上は、同人による株の買占め事件の性格、動機、方法、態様、結果等は明らかではない。そうであるにもかかわらず、原判決が右のように説示したのは、本件の証拠によらず、本件と並行して審理していた同人に対する証券取引法違反等被告事件や稲村利幸に対する所得税法違反事件の証拠から得た心証をいきなり本件に持ち込んだもので、原審裁判所の右措置は、著しく被告人の防御権を奪い、ひいては裁判を受ける権利を侵し、憲法三一条、三二条、刑訴法三一七条に違反するものであって、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである。仮に右訴訟手続の法令違反がないとしても、当時、被告人には右小谷が仕手筋の人物であるとの認識はなく、同人の株の買占めに協力しているとの認識も、その見返りとして利益を得るとの意識もなかった。また、同人としても、治療を受けた医師に対する感謝の気持ちから被告人との相対取引をするなどしたものであって、株買占めへの協力の見返りとして利益を与えるような意図はなかった。そうであるにもかかわらず、原判決が前示のような説示をしたのは、事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
2 所論中、事実誤認をいう点は、原判決の量刑事由に関する説示を争うものに過ぎないから、刑訴法三八二条所定の控訴理由としての事実誤認の主張に当たらない(ちなみに、以下の説明からも明らかなように、原判決の右説示に所論の誤りはない。)。
そこで、訴訟手続の法令違反の主張について検討する。
被告人の検察官に対する各供述調書(以下、検察官に対する供述調書を「検面調書」という。)、小谷光浩の各検面調書謄本、稲村利幸の検面調書謄本、大蔵事務官作成の株式売買益調査書その他の関係証拠を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、
(一) 被告人は、昭和六一年初めころ当時衆議院議員だった稲村利幸(以下「稲村」という。)からコーリン産業株式会社(以下「コーリン産業」という。)の代表取締役である小谷光浩(以下「小谷」という。)を紹介され、主治医として同人の病気の治療にあたるようになった。小谷は、被告人に対し、株で儲けて病院を改築してはどうかなどと株式取引を勧めた。被告人が、小谷の勧めに従って、同年七月、巴組鉄工所株の売買をしたところ、約六八〇万円の利益が得られ、同年八月月島機械株の売買をしたところ、約二二五〇万円の利益が得られた。同年九月中旬ころ、小谷から、蛇の目ミシン工業株の購入を勧められた際には、同人から、「僕が買っているからまだ上がる。」、「小佐野賢治と蛇の目で戦争しているんだ。」などと聞かされた(当時、小谷が蛇の目ミシン工業株の買集めを行っていたことは、同人も平成二年一一月一四日付検面調書謄本中において自認しているところである。)。被告人は、小谷の勧めに従って同社株の売買を行い、昭和六一年一一月上旬までに約四五三〇万円の利益を得た。
(二) 被告人は、同年一二月上旬ころには、小谷から、飛島建設株の取引を勧められ(被告人とともに小谷から飛島建設株の購入を勧められた稲村は、検面調書謄本中において、小谷から、「市場で飛島建設株を買ってくれたら、引き取るから、どんどん買ってくれ、必ず値上がりするから。」と言われた旨を供述している。)、同社株一〇万株を市場で買付けた後、コーリン産業に売却して約五六〇万円の利益を得た。その際、同社から蛇の目ミシン工業株二万株の譲渡を受け、翌年一月上旬市場で売却して約一一三〇万円の利益を得た。
(三) 被告人は、次いで、同月中旬ころ、小谷から飛島建設株の相対での買取り方を打診されてこれを承諾し、同月二二日ころ、同人の経営にかかるコーリン商事株式会社(以下「コーリン商事」という。)所有の飛島建設株五〇万株を一株九〇〇円、計四億五〇〇〇万円で譲り受け、翌二月二五日ころ、コーリン産業に一株一一〇〇円計五億五〇〇〇万円で売却して約一億円の利益を得た。この時には、稲村も同一条件で飛島建設株五〇万株を購入し、売却しているが、同人は、小谷から同社株の買取り方を依頼された際、同人から「飛島建設株は、まだ上がる。私の持っている株を一旦引き取ってくれ。値が上がったところで買い戻す。二人で一〇〇万株引き受けて欲しい。」と言われている。当時、小谷は飛島建設株の買集めを行っており、同人としても、コーリン商事所有の飛島建設株の譲渡は、同社がそれ以前に安く購入していたものを売却して利益を出すとともに資金繰りができるというメリットがあった。
(四) 被告人は、同年七月上旬ころには、小谷に国際航業株の購入を勧められたが、その際には、同人から「僕がこの会社の株をやっているんですよ。」、「全財産をぶち込んでもいいよ。」などと聞かされており、また、現在の時価は三〇〇〇円くらいであるが、一か月くらい後に五〇〇〇円くらいで引き取ってもよいとの申し出を受けたので、稲村とも相談の上、被告人と稲村とで五〇万株ずつ計一〇〇万株を引き取ってもらうことの了解を取り付けた上、同月中旬から翌年中旬にかけて市場で同社株合計五五万株を買付け、同月下旬、うち五〇万株を一株五二〇〇円計二六億円でコーリン産業に売却し、残りの五万株を市場で売却し、合わせて約六億六三〇〇万円の利益を得た。なお、この件に関し、稲村は、同年七月、小谷から国際航業株の購入を勧められた際、同人から「国際航業株を手掛けている。今勝負をかけている。出来る限り買ってくれ。一月くらいしたら一株五、〇〇〇円以上で引き取る。山口先生と合わせて一〇〇万株は買ってくれ。」と市場での買付けを依頼されている。そして、稲村は、後日取調べ検察官に対し、右取引について、「これは、小谷氏が買占めをやるのに手伝うことで大儲けするという恥ずべき取引でした。」と述懐している(前掲稲村の検面調書謄本)。小谷は、同年七月ころから自己及び関係会社や協力者を糾合して国際航業株の買集めを行い、同年八月七日、同社の桝山明社長と共同経営の覚書を交わしているが、その時点では一六七五万株を自分の支配下に置くことに成功していたところ、被告人及び稲村の買付けた一〇〇万株もその一部を構成していた。
以上の事実関係によれば、客観的にみて、小谷は、いわゆる仕手筋の人物として、蛇の目ミシン工業株、飛鳥建設株、国際航業株等の買集めを行っていたものであり、また、被告人らが、飛鳥建設株の相対取引に応じたり、国際航業株を市場で大量に買い付けてコーリン産業に売却したりした行為が、小谷による株式の買い集めに対する協力となっていること、同人は、その見返りとして高額での買取りを約束していたことなどが明らかである。他方、被告人の主観的認識としても、株式取引に深く関わっている被告人が「仕手筋」というかなり一般化している用語について無知であったか否かはさて措くとしても、被告人は、少なくともことの実質において、小谷が、多額の資金を投入して特定の株式を集中的かつ大量に買集めるなどの方法により利益の獲得を狙っている人物であることは知っており、かつ、同人が購入を勧めたり、市場で大量に買えば利益を乗せて引き取ると申し出ている株が、同人が買い集めている株であって、今後の値上がりが期待できるものであること、同人の依頼により、国際航業株を市場で大量に購入することが同人による同社株の買集めへの協力となることなどの事情についても、十分承知していたものと認められる。してみると、本件記録上も、原判決の指摘するような事実は優にこれを是認することができるのであって、これをもって別件で得た心証に基づく説示であるとする所論は、既にその前提において誤りである。原判決に所論訴訟手続の法令違反等はなく、論旨は理由がない。
二 控訴趣意第二点(事実誤認等の主張)について
1 論旨は、要するに、被告人は、原判示第一の昭和六一年分の所得税確定申告当時は株式売買益についての課税要件、ひいては株式売買による自己の所得についての納税義務の存在を全く認識していなかったものであるから、同年分の所得税逋脱の犯意を欠くにもかかわらず、犯意があるものとして逋脱犯の成立を認めた原判決は、事実を誤認したものであり、仮に、逋脱犯の犯意の成立には納税義務の認識を要しないと解したものとすれば、刑法三八条一項、所得税法二三八条の解釈を誤り、憲法三一条並びに最高裁判所及び大審院の各判例に違反するものであって、これらの誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、到底破棄を免れない、というのである。
2 しかしながら、原審記録上認められる以下のような証拠及び事実関係に照らせば、被告人は、遅くとも昭和六一年分の所得税の確定申告をした同六二年三月一四日までには、株式売買益に対する課税要件の内容及び自己の納税義務の存在を認識していたことは明らかである。すなわち、
(一) 被告人は、捜査段階において、検察官に対し、右の点について一貫して詳細な自白をしており、その主要な内容を摘記すれば、まず、(1)平成二年一二月一四日付検面調書において、「私は、昭和六一年八月中旬ころまでには、課税要件が、株の売り買いの回数が五〇回以上でかつその売買株数が二〇万株以上であることを知っていました。」、「私の株の売り買いに他人の名義を使ったのは、その株取引が他人名義の株取引だと見せかけることができ、私の株取引であることを隠すことができるからでした。」と、次いで、(2)平成二年一二月二一日付検面調書(本文一二枚綴りのもの)において、「昔、誠備事件というのがあって、株の儲けを脱税したということで逮捕されるなど話題になったことがありましたから、株の利益に税金がかかるということは知っていました。私は昭和六一年八月から本格的に株式取引をすることにしました。」、「当然、税金のことが頭に浮かびましたので、その本を買うまではしなかったと思うのですが、株に関係する本を読んで、年間の株式取引回数が五〇回以上かつ二〇万株以上の場合税金がかけられることを知りました。」、「証券会社のパンフレットなどでその課税要件を読んだ記憶もあります。」と、また、(3)平成二年一二月五日付検面調書において、昭和六一年一二月二四日ころ、小谷のコーリン産業に飛鳥建設株一〇万株を譲渡した際、稲村に依頼されて、同人の譲渡する三五万株中の五万株を被告人の譲渡した株式数に上乗せして有価証券売買契約書等の書類を作成したことに関連して、「稲村先生が名義を分散するのは、同一銘柄を二〇万株以上譲渡した場合その所得に課税されますので、そのような課税をされないようにするためだと理解しておりました。」などと述べているのである。このように、被告人は、取調べ検察官に対し終始、株式売買益に対する課税要件を知っており、売買回数や売買株数が課税要件に達しないように仮装するため、昭和六一年中から借名口座を設定し、名義の分散を図ったなどと自供した上(被告人は、前記検面調書の他の箇所や前記以外の検面調書中においても随所で課税要件の存在を知っていたことを自供している。)、(4)平成二年一二月二三日付検面調書において、昭和六一年分所得税の確定申告時、株式売買益に対する課税要件の存在及び自己の株式売買益がそれに該当することを知っていたが、所得税逋脱の意思で、株式売買益の一切を申告から除外した所得税確定申告書を税理士に作成させ、提出した旨自供しており、(5)原審冒頭手続においても、公訴事実を認めて争わなかったものである。
(二) そして、期間中における被告人の行動は、右自供の真実性を裏付けるものといってよい。すなわち、(1)被告人は、昭和五九年九月から菱光証券阿佐ヶ谷支店に自己名義の取引口座を持っていたにもかかわらず、昭和六一年中に、証券会社二社に自己名義の口座を新たに開設したほか、証券会社三社に妻節子、長男佳志及び次男政志名義の各取引口座を開設し、自らの株式取引に利用するようになった(なお、昭和六二年中には、更に五名の名義を用いた借名口座を開設している。)。このような借名口座の開設が、取引名義の分散による課税要件の回避につながることは明らかである。また、(2)被告人は、昭和六二年一月二二日ころ、コーリン商事から相対で飛鳥建設株五〇万株を購入するに際し、自らの判断に基づき、あらかじめ取引名義及び株数を記載したメモを小谷に交付し、これに基づき、自己名義で一九万株、妻節子名義で一四万株(節子名義では、同年中に、既に同銘柄五万株を市場で買付けていた。)及び次男政志名義で一七万株と分散して買付け、同年二月二五日ころ、右各名義及び株数のまま、計五〇万株をコーリン産業に譲渡している。これは、明らかに「同一銘柄二〇万株以上の譲渡」という課税要件を回避するため、買付けの段階から工作していたことを示している(ちなみに、右各取引は、昭和六二年に入ってからのものであるが、いずれも昭和六一年分の所得税確定申告前に行われている。)。もとより、株式売買益に対する課税要件のような実務的知識は、株式取引を重ねる過程で様々な情報源から齎される性質のものであるから、そのような知識を習得するに至った日時、場所、情報源などを具体的に特定することは本来無理というべきである。しかし、被告人は、昭和五九年から証券会社に自己名義の取引口座を有していたのみならず、昭和六一年七月から小谷の勧めで行った巴組鉄工所株や月島機械株の売買で多額の利益を得たことから、株式売買益で病院の改築資金を蓄えようと考え、同年八月下旬以降、小谷の推奨する銘柄のみならず、証券会社の推奨する銘柄をも含め、多数回、大量の株式取引を積極的に進めていたものであって(同六二年一月からは、信用取引にまで手を伸ばしている。)、全く株式取引の知識や経験のない者が、たまたま人に勧められて売買に手を出したというのとは、訳が違うのである。被告人のこのような株式取引の経験を踏まえた上で、さきに引用した被告人の自供及びこれを裏付ける前記行動を子細に吟味すれば、被告人は、遅くとも昭和六一年分の所得税確定申告をした同六二年三月一四日までには、株式売買益に対する課税要件及び自己の取引がこれに該当し、納税義務のあることを承知していたものであることを肯認するに十分である。
所論は、右(一)の(2)掲記の平成二年一二月二一日付検面調所中の被告人の個々の供述部分を捉えて、その信用性を争うが、指摘事項そのものが右供述の信用性を疑わせるほどのものでないばかりか、さきに引用したように、被告人は、右調書以外の多数の調書で一貫して同旨の自供を繰り返しており、かつ、その自供は被告人自身の行動によって裏付けられているのである。
なお、被告人が相澤代議士の株式売買益脱税事件の新聞記事を読んで高野公認会計士を訪ねた件は、所論のように、家族名義等による株式取引が脱税となる理由が分からなかったというようなものではなく、被告人の平成二年一二月二三日付検面調書にあるように、借名口座により株式取引をしていた自分も非課税限度を越えていることが発覚するのではないかと心配になり、相談に行ったものと認めることができ、これに反する被告人の原審公判廷での供述は信用できない。
以上のとおり、原判決に所論の事実誤認はない。また、所論後段の主張は、弁護人独自の仮定に基づくものであって、原判決が所論のような法令解釈に立脚するものとは到底解されないから、その前提を欠き、明らかに失当である。論旨はすべて理由がない。
3 控訴趣意第三点(量刑不当の主張)について
論旨は、要するに、原判決の量刑は、被告人に対する懲役刑に執行猶予を付さなかった点においてその量刑重きに失し、破棄を免れない、というのである。
そこで、原審の記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をもこれに併せて原判決の量刑の当否を審査するに、本件は、医師であり、個人で豊島区西巣鴨に内科、小児科、神経科を診療科目とする山口病院、池袋のサンシャインビル内に山口クリニックを経営する傍ら、営利を目的として継続的に株式等の売買を行った被告人が、所得税を免れようと企て、株式等の取引名義を、自己のほか家族や病院関係者にまで分散するなどの方法により所得を秘匿した上、株式等の売買による所得をすべて除外し、申告して納税すべき税額はないばかりか、既に源泉徴収されている税額の一部の還付を受けることとなる旨の確定申告をなし、昭和六一年分の所得税八九八六万六四〇〇円、同六二年分の所得税七億三八〇三万五一〇〇円を免れたという事案である。
右に見たように、本件逋脱税額は、二年分合わせて八億二七九〇万一五〇〇円という高額であり、逋脱率も、源泉徴収税額の還付請求までしているため、昭和六一年分が約八八パーセント、同六二年分が約九九パーセントという高率に達している(ちなみに、原判決は、逋脱率は「一〇〇パーセントを越える」云々と説示しているが、これは、「逋脱税額」を、「課税総所得金額に対応する税額から源泉徴収税額を控除した後の金額」と対比すれば、そうなるということを意味するに過ぎない。「逋脱率」の計算法については、当庁平成四年(う)第四〇八号・瀬戸恒貴に対する所得税法違反被告事件・同年九月三〇日判決参照)。
そして、逋脱の動機は、遊興飲食などの享楽的な支出に当てるというものではなく、自己の経営する病院の改築や設備拡充資金の蓄財というにあり、その結果として、地域医療への寄与という副次的効果を期待し得るとはいえ、原判決も指摘するように、そのことは、所詮は、被告人の個人的利益の追求に資するものといわざるを得ず、そうだとすれば、私益をもって納税義務の履行という公益に優先させたものとの非難は免れないのであって、特に斟酌すべき情状とは考え難い。
所論は、被告人が、申告から除外したのは、株式売買による雑所得のみであって、本業である病院経営にかかる事業所得に関しては、何らの所得秘匿工作を行っていない点を評価すべきであるという。しかし、被告人が正直に申告した事業所得が2年分合計三七七〇万〇九五六円に過ぎないのに対し、除外した雑所得が同じく一三億六七四一万〇三二二円に達することを考慮すれば、彼我の軽重はおのずと明らかである。そこで、所論は、株式売買等による雑所得が高額化したのは、小谷との相対取引による株式数が大量であったことによるものであって、高額化したこと自体をもって強く非難するには当たらないと主張する。なるほど、被告人が多額の所得を得たこと自体は、特段の非難の対象とはなり得ない。しかし、事情の如何を問わず、多額の所得を得た者が、これを納税申告に当たって除外することが、強い社会的非難に値することも、また、論を俟たないところである。
ところで、原判決は、被告人が株式売買益を取得した方法を問題とし、仕手筋の人物との取引による分は、同人の株扱いに便乗したもので、健全なものとはいえないと指摘している(所論にもかかわらず、その認定自体に問題のないことはさきに説示したとおりである。)。思うに、所得取得の手段方法は、行為者の人格態度の反映であるという意味では一般的な情状のうちに含まれるけれども、租税債権に対する侵害の態様、程度に直接的な影響を及ぼすものとはいえないから、租税逋脱犯の量刑上これを過度に重視することは相当でない。また、原判決は、被告人が、昭和六二年分の所得税の申告に際し、公認会計士から真実の申告をするよう勧告されたにもかかわらず、これを実践しなかった理由として、「親交のあった代議士が対処してくれるものと期待し」たことを挙げているが、それ以上に、被告人が正直に申告すれば、同じ仕手筋の人物との取引などを通じ、被告人より遙かに巨額の株式売買益を得ていた右代議士の逋脱行為も発覚する虞があったため、同代議士から正しい申告を思い止まるよう要請されたことによるものと認められるのである。このように、原判決の量刑理由についての説示のうち、全面的には首肯し難い部分を減殺して考察しても、被告人の刑責にはなお重大なものがあるといわなければならない。
他方、被告人に有利な、あるいは被告人のために斟酌すべき事情としては、被告人は、<1>昭和六三年八月に査察調査が開始された後は、素直に脱税の事実を認めて修正申告に及び、手持ちの株式の売却、預金の解約、金融機関からの借入などにより納税に努力し、翌年一〇月までに所得税本税及び附帯税並びに地方税合計一四億円余を完納していること、<2>捜査段階及び公判審理を通じ、真摯な反省の態度を示し、かつ、母校である大学の理事や医師会の理事など、一切の公的役職を辞し、ひたすら謹慎していること、<3>医師として、高血圧症の研究等で相当の業績を上げているほか、救急医療に尽力し、校医を務めるなど、地域医療にも貢献しており、人望も高いこと、<4>納税のための借入や病院経営上の出費のため、銀行に一九億八〇〇〇万円の負債があり、月々の利子一五〇〇万円も滞っていること、<5>査察調査を受けた当時、心筋梗塞で倒れ、冠状動脈のバイパス手術を受けたが、特殊血液体質のため一時は危篤状態に陥り、術後現在に至るも狭心症が不安定な状態にあるほか、高血圧症、慢性肝炎、胆嚢ポリープなどの疾患を抱え、健康状態は甚だしく不良であることなどが認められる。
以上、被告人に有利又は不利益な一切の情状を総合勘案し、類似の同種事犯に対する科刑の実情にも照らして考察すると、情状いまだ懲役刑の執行猶予を相当とするには至らないものの、原判決の科した懲役二年及び罰金二億三〇〇〇万円の刑はその刑期及び金額の点においていささか重きに失し、不当と認められる。論旨は、右の限度において理由がある。
よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、被告事件につき更に次のとおり判決する。
原判決の認定した事実に刑種の選択、併合罪の処理等を含め、原判決と同一の法令を適用した刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年八月及び罰金二億円に処し、刑法一八条に則り、右罰金を完納できないときは金六〇万円を一日に換算した期間(端数は一日に換算する。)被告人を労役場に留置することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 新田誠志 裁判官 浜井一夫)
○控訴趣意書
所得税法違反 被告人 山口明志
右の者に対する頭書被告事件につき、平成三年一二月四日東京地方裁判所刑事第八部が言い渡した判決に対し、弁護人から申し立てた控訴の理由は左記のとおりである。
平成四年四月一七日
主任弁護人 高田治
弁護人 神宮壽雄
弁護人 島村芳見
東京高等裁判所第一刑事部 御中
記
第一点 原判決には、訴訟手続に重大な法令違反があるか、または著しい事実誤認があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。
原判決は量刑の理由中において、「しかも、その脱税額の元となった株取引による利益のうち仕手筋の人物との取引による分は、名は株式取引とはいえ、実質は同人の株扱いに便乗して多額の利益に預かったもので、中には株買い占めへの協力の見返り的性格のものもあり、健全なものとはいえないのである」等と述べており、正に本件の量刑を行うに当たって、被告人が所謂仕手筋の株の買い占めに便乗したとか、これに協力して見返りを得たと認定して、これを極めて重要な要素として考慮していることは疑いないことである。
1 原判決には訴訟手続に重大な違反があることについて
(一) ところで、原判決のいう仕手筋というのは、小谷を指していると推測されるが、小谷の株の買い占め等については、一件記録をみても、右事件の性格、すなわち右事件の動機、方法、態様、結果等は明らかではないのである。
所謂、小谷に対する株買い占め事件は、他の裁判所に係属していたものであるから、右事件の性格、態様等は、その裁判所が承知しているものであろう(原審の裁判官は本件と並行して稲村利幸等に対する所得税法違反事件、小谷光浩に対する証券取引法違反、恐喝等を審理していたようなので、これを十分承知していたと思われる。このことは、原判決の「仕手筋の人物との取引による分は、」とか「健全なものとはいえない」という主観的な表現からも窺えるところである。そしてこれは、右小谷事件等における同人らに対する所謂良くない心証を述べたものと思われる。)。
従って原判決は、他の裁判所が審理している事件の性格を、証拠もないのに直ちに本件の量刑理由に引用したものと推測される。
(二) さらに、このように他の裁判所が審理する事件の内容は、所謂裁判所に顕著な事実とも言い難い。何となれば、事件の内容は、それぞれ裁判所が独立して認定すべき事物に属するものであるからである。
また右事件が、仮に裁判所に顕著な事実であるとしても、原審の被告人、弁護人にとっては右事件の性格、動機、態様等は明らかではなかったものである。
(三) しかるに原判決は、右のような事実につき証拠による証明もなく、いきなり「同人(仕手筋)の株扱いに便乗して多額の利益に預かったものであり、中には株買い占めへの協力の見返り的性格のものもあり」とか、「健全なものとはいえない」等と断定しているのである。これは著しく被告人の防衛権を奪い、ひいては、裁判を受ける権利を侵し、憲法第三一条、同第三二条、刑事訴訟法第三一七条に違反すると言わざるを得ない。
現在においては、実務及び学説においても、裁判所に顕著な事実は説明を要するとする説がほぼ通説であるのである(裁判所書記官研修教材「刑事訴訟講義案(改訂版)」二五〇頁、鈴木義男「量刑の審査(公判法体系Ⅳ上訴)」一五一頁、団藤重光「刑事訴訟法綱要(七訂版)」二五〇頁)。
すなわち、公知の事実にも属せず、単に裁判所だけが知っている事実について何らかの説明を要しないでこれを認めることは、一般国民を納得させる裁判という要請に違反するうえ、その事実について争う機会を当事者から奪う結果にもなって、違法であると言わざるを得ないのである。
2 原判決には著しい事実誤認があることについて
仮に右認定に重大な法令違反がないとしても、原判決には著しい事実誤認がある。
(一) すなわち原判決は、前記のとおり「仕手筋の人物との取引による分は」云々と述べており、右仕手筋とは小谷を指していると思われるのであるが、被告人には小谷が仕手筋であるという認識はなかったのである。そもそもそれまで株式取引を知らなかった被告人には仕手筋という用語すら知らなかったものであり、仮に仕手筋と聞いたところで如何なるものか理解し得なかったと思われるのである。よって当時被告人には、所謂仕手筋の株式取引ないし株買い占めに協力するという認識はなく、従って、またこれに対する見返りとして利益に預かるとの意識もなかったものである。株式取引について未経験であった被告人は、小谷に勧められるままに株式取引をしていたものであり、このような様子は、被告人の供述の随所に現れていることである(第四回公判の被告人供述調書記録五八丁以下等)。ただ、右小谷の勧め、ないし稲村代議士の意のままに応じたことが、結果的に被告人の株式取引回数、取引額を増幅させてしまったものである(右供述調書記録七九丁以下)。
しかるに原判決は、被告人が仕手筋の株扱いに便乗して多額の利益に預かったとか、株買い占めへの協力の見返り的性格のものもあったなどと認定したのは、結果のみに目を奪われ、素人としての被告人の株扱いの態様を見誤ったものであり、著しく事実を誤認しているものである。
(二) 更に原判決は、「右取引は健全なものとはいえない」等と述べているが、これも前記のとおり判決としては余りにも主観的、短絡的な表現であると言わざるを得ない、若しそれならば、一体健全な取引とは何を意味しているのであろうか。相対取引であるから健全でないというならば、世間の相対取引は全て健全でないということになろう。通常において株式取引は、相対であっても別に道義的に非難される筋合いのものでなく、歴史的にみても個人同志の場合むしろ相対で取引するのが通常であろう。被告人の場合もこの程度のものであったものである。若し小谷の取引の方法が健全でないという趣旨ならば、それをもって被告人を非難するのは筋違いであろう。実際、小谷としても、治療をうけた医師に対する感謝の気持が主な動機であったものであり(小谷の平成二・一一・一四付検事調書記録一〇八七丁、一〇九二丁)、右感謝の気持を別にして、仕手筋間の取引のように株買い占めに対する協力への見返りとして利益を与えるというビジネス的な意図はなかったと認められるのである。小谷自身も、被告人についてはかようなことは述べていないのである(前記小谷の平成二・一一・一四付、同二・一一・二六付、同二・一一・二九付各検事調書参照)。しかるに原判決が「株買い占めへの協力への見返り的性格もあった」とか、「健全なものとはいえない」等と述べているのは、誠に主観的、独断的な認定であり、著しく事実を誤認していると言わざるを得ない。
よって、原判決には訴訟手続に重大な法令違反があるか、または著しい事実誤認があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。
第二点 原判決は、「昭和六一年分所得税(本件株式売買益・所得にかかるもの)のほ脱の故意」につき、事実を誤認したか、または法令の適用を誤っており、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
1 所得税法二三八条は、「偽りその他不正の行為」により「納税義務」を免れた場合に刑事責任を問うものであり、故意犯であるから、「納税義務」の存在は本質的構成要件要素であり、当然、「納税義務」の存在を認識しないときは、ほ脱の故意を欠くものとして所得税法二三八条を適用することはできないものである(河村澄夫「租税犯における責任(一)」租税法学五一・三~五、板倉宏「租税犯の故意・上中」判タ一九一・一四~一五、一九四・三四~三五、東京高判昭五四・三・一九高刑三二・一・四四、東京地判昭五五・二・二九判タ四二六・二〇九、東京地判昭五五・一一・一〇判時九九一・一二七、一二八)。
2 本件株式売買の当時は、株式売買による所得に対しては、原則的に非課税とされ、例外的に一定の場合に課税対象とされていた(所得税法九条一項一一号、同法施行令二六条、同特別措置法三七条の一〇、同令二五条の八)のであるから、納税義務を認識していたというためには、単に「株式売買益・所得」の認識があったのみでは足りず、これを本件の株式取引についてみれば、その取引が「年五〇回以上、かつ、二〇万株以上」であり、その売買益・所得は課税対象となることの認識を必要とするものである。換言すれば、本件株式取引が非課税限度を超えて右課税要件に該当し、具体的に納税義務が存在していることの認識が必要なのである。
そこで、被告人には、昭和六一年分の株式取引につき、非課税限度を超えて右課税要件に該当し、納税義務のあることを認識していたかどうかについて、次に、本件証拠に基づき検討する。
3 被告人の検察官に対する供述調書(平成二・一二・二一付検事調書記録一七四四~一七四六丁、平成二・一二・二三付検事調書記録二二一七~二二二一丁、平成二・一二・一四付検事調書記録二〇八八丁、二〇九五、二〇九六丁)によれば、被告人は、「昭和六一年八月ころには課税要件(五〇回以上、かつ、二〇万株以上)を知っていた」旨、また、「他人名義を借用することによって右課税要件を回避する方法のあることを知っていた」旨及び昭和六一年分の確定申告時には、「株の売買が五〇回以上かつ二〇万株以上であったから、その所得には課税されることは当然知っていた」旨の供述をしている。
さらに、被告人が稲村代議士と共に小谷との間で飛島建設株を相対取引した際、稲村代議士が名義分散したことについて、「稲村先生が名義を分散するのは、同一銘柄を二〇万株以上譲渡した場合には課税されるため、その課税を免れるためと理解していた」旨供述している(平成二・一二・二六付検事調書記録一八四八丁)。
しかし、次のとおり、右供述を直ちに信用することはできないのである。すなわち、
(一) 被告人は、学究的な一開業医として地域医療に献身的に働いていた者であり(第三回公判の渡辺富雄、石川秀三郎、工藤寿一各証人尋問調書記録参照)、昭和五九年一〇月頃から同六一年七月頃小谷から病院充実拡大のため株式取引を勧められるまでは、被告人の病院に薬を売込みにきていた斎藤邦紀の勧めにより、菱光証券阿佐ケ谷支店で同店担当者の勧める若干の銘柄の株式及び債券につき妻山口節子を介して被告人名義、山口享子名義で取り引きをおこなっていたのみであり、もとより右課税要件には全く該当しない範囲のものであった。しかも被告人本人は同店担当者と会って直接取り引きを行うこともなかったのである(平成元・三・一一付大蔵事務官作成「株式売買益調査書」一丁、山口節子の平成二・九・二〇付検事調書記録一二四二~一二四四丁、第四回公判の被告人供述調書記録六五、六六丁、第五回公判の被告人供述調書記録一一〇、一一一丁)。
従って、この時点では、被告人が右課税要件を認識していなかったことは明らかであり、問題のないところである。
(二) 被告人の右検察官に対する調書(平成二・一二・二一付検事調書記録一七四五丁)によれば、昭和六一年分の株式取引に関して、被告人は<1>当初株の本あるいはパンフレットをみて知ったとあるが、それらの本等がどんな本等なのかが特定されていないし、何時、何処でそれらを見たのかも不明であり、<2>また、誠備事件により株式取引にも税金がかかることを知ったとあるが、株式取引の経験が右の程度である被告人が、誠備事件の内容につき関心を示したとは到底考えられず(ちなみに、誠備事件は昭和五六年三月起訴、昭和六〇年三月一審判決、平成二年四月控訴審判決があり、被告人自身のほ脱所得税につき無罪とされている事件である)、被告人が原審公判廷で述べたように、誠備事件がどんな事件かその内容を知らなかった(第五回公判の被告人供述調書記録一一三、一一四丁、一二一丁)と言うのが真実である。
(三) 被告人の右検察官に対する調書(平成二・一二・二一付検事調書記録一七四五丁)によれば、「昭和六一年七月に小谷の情報で株式取引を始めた時に、小谷から課税要件のことを聞かされたような気がする」旨の供述があるが、右小谷の検察官に対する調書(小谷の平成二・一一・一四付、同平成二・一一・二六付、平成二・一一・二九付各検事調書記録一〇八五丁以下参照)中には、これと符号する供述は全くない。却って、被告人の原審公判廷の供述によれば(第五回公判の被告人供述調書記録一二〇丁)、小谷からも稲村代議士からも税金についての話し合い、指示はなく、相対取引のとき、取引税について、小谷から納めておいて下さいと言われただけであり、また、本件事件後に至り、小谷は被告人に対して「株のことを知らない先生に逆に悪いことをした。ぼくが全部やってあげればよかった」旨述懐をしたというのであるが、正にこれは被告人に非課税限度のあること、すなわち、右課税要件の教示等をしなかった責任を感じてのものであると言えるのであり、右検事調書の供述が真実でないことの証左である。
(四) 被告人が稲村代議士と共同で飛島建設株を小谷と相対取引した時は、被告人は相対取引も初めてであり、この取引は稲村代議士と小谷で実質上取り決め、それに被告人は従ったのみであり、前記(一)ないし(三)のとおりであって、被告人は、「同一銘柄二〇万株以上」の取引が課税されることなどは全く知らなかったのである(そもそも、被告人はこの要件に該当する取引をおこなっていなかった)。
(五) 被告人は、昭和六二年一月末頃に至って、証券会社担当者より第三者名義の取引口座開設を示唆されて、初めて家族以外の第三者である当時の病院の事務長斎藤龍彦から名前を借りたのであるが、その際、「株式取引の枠」のあることを知ったとも言うが、それの意味するところについて、被告人の認識は極めて曖昧であったのである。
すなわち、被告人は、右斎藤事務長も株式取引をしていることを知っていながら、被告人も斎藤事務長も両者共右課税要件(取引回数及び株数)の該当性につき、全く関心を示していないのであり、また、昭和六一年分の確定申告時に申告しなかったことにつき、証券会社からも何ら確定申告するようにとの話はなく、自分も借名口座の意味するところにつき曖昧であった旨原審公判廷で述べているが(第二回公判の斎藤龍彦証人尋問調書記録七~九丁、一三、一四丁、第五回公判の被告人供述調書記録一二二丁、一三〇、一三一丁)、このことは被告人が「株式取引の枠」すなわち非課税限度の有無、内容につき十分な認識を欠いていたことの証左である。
(六) 被告人が、右課税要件を認識したのは、昭和六三年二月に至り、相澤代議士の株式取引ほ脱事件の報道記事を読んでも「家族名義等による株式取引」が何故ほ脱とされるか直ちに理解できず、上野の高野公認会計士方に赴き相談して、初めて「株式取引の枠」の意味を具体的に知って、本来株式取引について申告義務のあることを知るに至ったものである(第二回公判の斎藤龍彦証人尋問調書記録一三~一五丁、第五回公判の被告人供述調書記録一一四、一一五丁)。
右相澤事件に関して、被告人の右検事調書(平成二・一二・二三付検事調書記録二二二二丁、二二二四、二二二五丁)によれば、被告人は「借名口座により株式取引をしていたので非課税限度を超えていることが発覚しないと思っていたが、相澤代議士の株式取引が発覚したので、自分も非課税限度を超えていることが発覚するのではないかと心配になり、右高野公認会計士方へ赴き、相談することとした」旨の供述をしているが、被告人は、右にみたとおり、非課税限度の存在もその具体的内容も認識がなく、また、実際に、株式取引回数には全く関心を示さず、自己の取引が具体的に非課税限度を超えて課税要件に該当しているとの認識はなかったのである。従って、相澤事件を知って、初めて、自己の株式取引ももしや課税要件に該当し、申告・納税しなければならないかもしれないとの疑念が生じたものとみるのが相当である。
(七) 以上、右にみたとおり、被告人は昭和六一年分の本件株式取引につき、右課税要件の認識を欠き、従って、被告人には納税義務の存在していることの認識はなかったのである。
また、本件株式取引の当時、原則として、株式売買益・所得は原則非課税であり、例外的に一定の場合に課税されるにすぎなかったのである。そうすると、株式取引の専門家でなく学究的かつ地域医療に没頭していた一開業医である被告人が、たまたま、株式取引の専門家あるいは株式取引に熟知している者の勧めにより単に受動的にこれに応じたにすぎないのであり、しかも、右専門家らの課税関係につき明確な教示もなかったのであるから、かかる課税要件の認識を欠いても何ら異とするにはあたらないものである。
4 事実誤認ないし法令適用の誤り
(一) 弁護人は、原審弁論において、被告人の検察官に対する供述調書の供述が抽象的で具体性を欠いていること、被告人の株式取引が証券会社、小谷らの勧めに従った受動的なものであること及び原審公判廷の供述等に鑑みると、被告人の検察官に対する課税要件を認識しており、かつ、本件株式取引が非課税限度を超えて右課税要件に該当していることを認識していた旨の供述は、その信用性が極めて疑わしいところから、「法律の認識が希薄である」として問題を指摘しておいたところである。すなわち、右課税要件の認識がなければ納税義務違反の認識を当然に欠くこととなり、所得税ほ脱責任を問えるかが問題となるからである。
(二) 原判決は、右の点につき、何らの説示もしていないのであるが、若し、被告人に納税義務の存在の認識、すなわち、本件株式取引が右非課税限度を超え右課税要件に該当していることの認識があるとの事実認定に基づき所得税法二三八条を適用したとすれば前記3で詳述したとおり、それは事実誤認に基づくものである。
(三) また、若し、原判決は、納税義務の認識は故意の対象にはならないものであり、故意の内容としては客観的に右課税要件に該当した株式取引事実を認識すれば足りるとの解釈に基づき所得税法二三八条を適用したとすれば、刑法三八条一項、所得税法二三八条の解釈・適用の過ちをおかしているものである。すなわち、ほ脱犯は法律上の納税義務違反を処罰するものであり、納税義務の存在は本質的構成要素であるにもかかわらず、その存在の認識がないのにほ脱の故意を認めるのは、故意犯としてての実体を具えていないものを故意犯として処罰することとなるからである。
これは、刑法の責任主義にも罪刑法定主義(憲法三一条)にも反するものである(前掲板倉、判タ一九四・三四)。
さらに、納税義務の存在はほ脱犯の構成要件に属する事実であり、かかる法律上の義務の存在するという事実の認識を欠くことは、事実の錯誤であることは判例(最判昭二六・七・一〇刑集五・八・一四一一、最判昭二六・八・一七刑集一五・九・一七八九、大審決大一五・二・二三刑集五・九七)も認めているところであり、これら判例にも反することとなる。
(四) 仮に、納税義務の存在の認識が法の不知、誤解に基づくときは、法律の錯誤に過ぎないとしても、その認識を欠いたこと、すなわち、その錯誤に「相当の理由」のあるときは、故意犯としての責任を問えないと解すべきである(改正刑法草案二一条二項、なお、最判昭六二・七・一六刑集四一・五・二三七は、当該事案につき、違法性の認識を欠くことにつき「相当の理由」の無いことを認定しているが、それは、「相当の理由」があれば故意責任を問えないとの前提に立っていることを示すものと解される)。「相当の理由」の有無は、被告人の生活環境、知識経験、職業関係、社会的地位等諸般の事情に従い社会通念によって個別具体的に判断されるべきことである。
これを、本件についてみれば、先ず、租税法規は政策的、技術的かつ難解であり、通達行政の最たるものである。本件課税要件についても、「取引回数」をどのような基準で数えるかは全く明確でなく、通達(所得税基本通達九-一五、一六、一七等)で行政解釈が示されているところであり、この解釈は必ずしも普遍化してはいないし、「五〇回以上、かつ、二〇万株以上」を課税要件とするのも政策的なものにすぎないのである。しかも、右課税要件自体は所得税法ではなく、所得税法施行令に規定されるという技術的なものである。次に、被告人は開業医であり、従来、株式取引を殆どおこなっていなかったものであり、偶々、小谷あるいは稲村代議士という株式取引の精通者の勧め、半ばそれらに利用される形で受動的に株式取引をおこなっていたのであり、それらからも証券会社からも右課税要件につき教示もされなかったのである。してみれば、被告人が右課税要件の認識を欠いたことには「相当の理由」があるというべきである。
5 以上により、いずれにしても、被告人に対して昭和六一年分株式売買益・所得については、所得税法二三八条を適用して責任を問うことはできないものである。
第三点 原判決には著しい量刑不当がある。
1 原判決の量刑事情中、被告人の責任が重いと指摘する事実。
原判決は、
(一) 脱税額は二年分合計で八億二八〇〇万円であり、所得税法違反事件の中でも高額の中に入ること。
(二) 株取引のうち、仕手筋の人物との取引による分は、名は株式取引とはいえ、実質は同人の株扱いに便乗して多額の利益に預かったもので、中には株買い占めへの協力の見返り的性格のものもあり、健全なものとはいえない。
(三) ほ脱率は、一〇〇パーセントを超えるものとなっている。
(四) 脱税の動機は、経営する病院の改築や設備拡充の資金を得るためというのであり、実際にもそれに沿った支出がなされているのであるが、それも結局、個人的動機・利害に基づくものに過ぎず、特に酌むべきものには当たらない。
(五) 被告人は昭和六二年分の所得税の申告に際して、公認会計士から真実の申告をするよう勧告されたのにもかかわらず、親交のあった代議士が対処してくれるものと期待し、これを実践しなかったばかりか、所得の秘匿をもくろんで、新たに他人名義の口座を開設して株取引を継続しており、脱税の犯意が必ずしも弱いものではなかったことを窺わせる。
の諸点をあげて、被告人の責任は重いと判示する(原判決四丁裏、五丁表)。
2 原判決の量刑事情中、被告人に酌むべき事情として指摘する事実。
他方原判決は、被告人に酌むべき事情として
(一) 査察調査が入った直後から全面的に自己の非を認めていること。
(二) 起訴前に修正申告をして脱税した本税や延滞税、重加算税の合計一一億九一三一万円余りと地方税合計二億二一七三万円余りを既に完納していること。
(三) 捜査段階及び公判審理を通じて、後悔と深い反省の態度を表していること。
(四) 母校の大学理事や医師会理事等を辞任するなどして、社会に対する謝罪の気持ちを示していること。
(五) これまで地域住民への医療を始めとして、医療・医学研究に熱心な態度と奉仕の精神で臨み、地域社会等に貢献していること。
(六) 被告人の人柄には多くの人の信望を得ていること。
(七) 被告人が現在不安定な健康状態にあること。
(八) 被告人の家庭の状況。
等をあげている(原判決五丁裏)。
そして、原判決は以上の各事情及びその他諸般の情状を考慮して、量刑したと判示し、被告人を懲役二年の実刑及び罰金二億三〇〇〇万円に処した。
3 原判決の量刑は、被告人の懲役刑につき執行猶予に付さず実刑に処した点において、著しく重きに失し不当である。
以下その理由を明らかにする。
(一) まず、原判決がほ脱額が高額であるとする点についてみると、なるほど高額であるとはいえ、このように高額になったのは、たとえば国際航業株を市場で買うにあたり、小谷から全財産を使って買ってもよいなどと言われたり、小谷との相対取引の株式数が多量であったことなどによるものであり、高額化した経緯内容にはそれなりに酌むべき事情が存するのであり、高額である点だけをとらえて強く非難するのはあたらない。
また、ほ脱税率が一〇〇パーセントを超えているとの点は、病院の事業所得の面で不正はなく、この関係で還付を受けていたためにほ脱率が一〇〇パーセントを超えたものであって、この点も本件が株式取引にかかる雑所得に関するものであるだけに、ほ脱率が高いことをもって強く非難するのは妥当ではないと思われる。
更に、動機が個人的利害に関わるものであるとの点については、地域医療に貢献した面も否定できないのであり、個人的利害のみに関わるとするのはあたらない。
また、原判決が被告人の脱税の犯意が必ずしも弱いものではなかったことを窺わせるとして指摘する点についてみると、まず公認会計士からの申告の助言を実践しなかったことは事実であるが、これは稲村代議士から申告を思い止どまるように言われたことによるものである。すなわち、それは、稲村代議士自身の株式取引による税務問題があったため、被告人に申告されるとまずいと思って被告人の申告意思を止どまらせたとみるのが自然である。
次に、他人名義の口座開設の点も証券会社がやってくれたものであり、犯意の強弱と直接関係ないものと思われる。
昭和六二年分について公認会計士のところへ行ったことの意味の重要なことは、むしろその前の昭和六一年分について被告人にほ脱の犯意がなかったことを裏付けている点にある。
原判決が被告人の責任が重いと指摘する点は、右のように必ずしも妥当ではない上、原判決が被告人に酌むべき事情についてはそれなりに列挙しているものの、実質的にはこれら酌むべき事情を量刑の結果に余り反映させていないのではないかと思われるので、以下において量刑上重視さるべき諸点について検討する。
(二) 仕手筋に便乗協力したものではない。
原判決は、罪となるべき事実の冒頭において「かねて親交のあった代議士より紹介をされて仕手筋の人物と知り合い」とか「右仕手筋の人物から勧められた銘柄」の株式を市場で売買したとか、「同人物から指摘されて市場で大量に買い付けた株式を同人に直接売却した」とか判示した上(原判決一丁裏、二丁表)、量刑の理由中において、「被告人が、判示のように仕手筋の人物と知り合って株取引を大量に行うようになり」と指摘した上、「仕手筋の人物との取引による分は、名は株式取引とはいえ、実質は同人の株扱いに便乗して多額の利益に預かったもので、中には株買い占めへの協力の見返り的性格のものもあり、健全なものとはいえない」と判示しているのである(原判決四丁裏、五丁表)。
この量刑事情判示の点に訴訟手続に重大な違反があるか、著しい事実誤認があることについては、前記第一点において既に明らかにしたところである。
しかも、この点が原判決の量刑判断にあたって重要な要素となっていることは、前記の判示内容から明らかと思われるのでこの点について再論したい。
原判決の仕手筋とは小谷を指していることは明らかであるが、小谷及び稲村代議士らの捜査段階における供述及び被告人の供述を検討してみても、小谷が仕手筋と認められる証拠は存在せず、まして、被告人が小谷を仕手筋と認識していた証拠はもとより、被告人が仕手筋である小谷に協力した、あるいは便乗したとか、更には小谷の株買い占めに協力した見返り的性格と認められる証拠は全く存しない。原審裁判所は稲村元代議士に対する所得税法違反事件の判決中の同人に対し実刑を科した理由中において「仕手筋の人物との相対取引で、正に労せず巨額の利益を得ていた」とか、「仕手筋の人物との取引にあたっては他人の名義を使うなどして」等と指摘している部分がある(平成二・一一・二九読売新聞朝刊等)。また、同裁判所は元国際航業役員浜口博光らに対する所得税法違反事件の判決の理由中において「仕手筋に協力した株売買は不公正で背信的」と判示しているようである(平成四・四・三朝日新聞夕刊等)。これら同じ裁判所で判決された小谷がらみの事件について、裁判所は一様に仕手筋に協力したかどうかなどを含め仕手筋の小谷との取引を量刑の判断の重要な要素にしているとみられる。
しかし、小谷が客観的に所謂仕手筋であり、株の買い占めをしていた者であるにせよ、各事件の証拠は異なっており、少なくとも被告人の本件所得税法違反事件においては前記のとおり、被告人が小谷を仕手筋と認識していたとか、あるいは、これに協力したとかその買い占めに便乗した見返りと認めうる証拠は存しない。この点について、検察官は原審の論告において「これは被告人が株式買い占めに協力することによって巨利を得たものと評価できるもので反社会性の強い株式取引の利益である」(五頁)と指摘しているが、これも証拠に基づく指摘とは到底言い難い。原審裁判所には小谷がらみの事件が何件も係属していたので、小谷と取引した各被告人について、一様に仕手筋に協力したとか買い占めに便乗して利益を得たとの判示になったものと思われるが、被告人には妥当しないことは証拠上明らかである。
そして、被告人は仕手筋の小谷に便乗ないし協力したというよりは、小谷や稲村代議士らに利用された面があると評価するのがむしろ妥当である。
すなわち、小谷がらみの取引について見ると、なるほど小谷は被告人にも株で儲けさせてやろうとの気持から、被告人に株式の売買を勧めたものであるが、他方、小谷について、被告人は当時全く認識していなかったとはいえ、客観的には所謂仕手筋であり会社株買い占めを意図し、被告人らに国際航業株を市場で多量に買って貰ってこれらを引き取ることができればその目的を遂げやすいことを考慮に入れて、被告人に全財産を使って買ってもよいなどと言ったのではないか、あるいは、飛島建設株についても高値形成のためであったとしても、被告人はこれに利用されたもの、と認められるのである。
他方、稲村代議士は、小谷が仕手筋であることを十分知悉していた上、同人が治療を受けて感謝している被告人に対して教える株情報を利用し、これに便乗して取引をして、自ら多額の利益を得たいと考え、株式取引には素人で、小谷が仕手筋であることすら知らない被告人に対し、「一人でやると大火傷をするから株をやるときは、自分に云うように」と話して注意しておきながら、これを信頼した被告人から小谷の株情報を常時提供させて取引していたのである。
被告人自身も稲村代議士と一緒に取引することの安心感が生じていたとはいえ、他方、被告人が稲村代議士に送ったお祝いの一件にしても、同代議士自身は被告人に話さずに小谷から独自に得た情報により多量に株式を取得していながら、被告人に秘匿していたことを見ると、同代議士も小谷の被告人に寄せている信頼を積極的に利用して株式取引により多額の利益を得ていたと思われるのである。これら両者に利用されていた点について、被告人は前記のとおり本件当時全く意識していなかったとはいえ、関係証拠によれば、純真で株式取引の世界を知らない医師が他人を信頼し、その親切心と思いそのアドバイスや指示に感謝しながら実は彼らに逆に利用されている一面が現れていると認められるのである。
右事情により、被告人の本件責任を他に転嫁するものではないが、右両名に利用されたことにより被告人の株式取引量が飛躍的に拡大して行き、その結果事件のほ脱額が多額になったことは否めないのである。
そして、被告人が仕手筋に便乗ないし協力したのではなく、むしろ彼らに利用された側面こそ被告人の量刑判断において重視さるべきであるのに、原判決はこの点を看過しており、到底承服しがたい。
(三) 動機は個人的利害に基づくものではない。
原審における被告人質問のほか各情状証人の証言によって、平素から至極真面目な学者であり、誠実な医師で、遊びも知らず、およそ賭事等は全くの無縁であった被告人が何故急に本件のような株式取引をするように至ったかについては略明らかになったと思われる。即ち、被告人の患者に対する真摯な治療態度、並びに医療技術に心をうたれた小谷が、病院設備改善のため株式取引を勧めたことに端を発するが、当初は全く株式取引の世界には無知で関心もなかった被告人にとって、小谷の勧めにも心を動かさなかったのであるが、やがて、自分の蓄財からではなく地域の患者のため、病院の設備改善に心が動いたのである。このことは、被告人が原審法廷で述べている言葉をもっていえば、「これからの医療を考えると、これからの病院は、官公立病院のように大きくなり、町の小さい病院は次第に取り残されるようになり、かくては、大切な地域医療を果たせなくなる。将来は病院を大きくして地域医療に尽くしたいと思った。」ということである。かように、被告人は単なる収益、蓄財を目的としたのではなく、自分の追究する理想的な地域医療の実現のため、小谷の勧めに心が動いたものである。
実際にも、被告人は、本件株式取引の収益から遊興費に使ったことはなく、逐次ではあるが、レントゲン機械等の購入のため約三〇〇〇万円、病院の改装費に約一〇〇〇万円、その他の医療器具機械に約五〇〇万円ないし六〇〇万円、病院用地の購入に約七〇〇〇万円、その他病院の経費に約三〇〇〇万円ないし四〇〇〇万円を支出している。これは、本件の収益からすれば少額ではあるが、本件の場合、被告人が株の取引を始めてから極めて短期間の中に、告発されたことにもよると思われる。
そこで、以上の事情を考慮すれば、「個人的動機・利害に基づくものに過ぎず、特に酌むべきものには当たらない」とする原判決の指摘は妥当ではない。
なお、被告人の実質的な所得、使途、留保状況等について述べると次のとおりである。
(1) 被告人は、本件ほ脱所得につき、その一部を病院施設、備品等に使用したことは前記のとおりであり、他は、預金・株式等で留保していた。預金については王子信用金庫巣鴨支店、第一勧業銀行大塚支店他二〇機関に、定期預金、普通預金ほか数種の預貯金を被告人名義の他病院、家族名義のものが多数あるが、ほ脱所得(株式取引)に係わるものは、王子信用金庫巣鴨支店、第一勧業銀行大塚支店他数行であり、その他は、口座開設日・種類・名義人・金額とその変動状況等からみて病院関係ないし家事関連のものであることが明らかである。このことは、被告人がほ脱所得の分散・隠蔽を積極的に意図していたものではないことを示すものである。
(2) また、留保株式についてみると、次のとおり実質的には含み損を抱えているものがある。すなわち、被告人の昭和六二年分の株式売買によるほ脱所得は一二億三三八五万円余となっている。しかし、被告人が同年中に買い付けた日立化成工業株六五万一〇〇〇株は一株平均単価二二六二円余であったが、取得後値下がりをしており、既に同年末の株価は一五〇〇円となっているのであって、同年中に被告人が日立化成工業株を全株売却していたとすると、約五億円の損が発生している計算となる。被告人は同年中に右株式を実際には売却していないため実損は発生していないが、右五億円は含み損となっていたのである。
被告人は右日立化成工業株式のうち三〇万株を平成二年に単価一四五〇円の安値で売却処分したことにより、右含み損が現実のものとなった。しかし、被告人は右株の残り三五万株余を現在も所持しているものの、平成元年五月二二日現在、同株価は一二八〇円となっており、大巾に値下がりしたまま処分するに処分できない状況に置かれている。最近の株価の下落状況を考慮すると、最早右株の単価が短期間に回復しないことは明らかであり、早晩残余の株の売却をせざるを得ずこれによる損が現実化することは明らかである。
以上の次第で被告人は株式取引に明るくないため、昭和六二年中に右株を売却しなかったとはいえ、同年末の時点で既に含み損約五億円を抱えていたのであるから、同年中の被告人の株式売買による実質的な所得は、前記一二億円余の所得から右五億円の含み損が減算したものとみられるのである。
このほか昭和六二年中に銀行から勧められて買い付けた第一勧業株式五〇〇〇株も同年中に売却しなかったとはいえ、平成二年一〇月に半値以下で売却処分しているのである。このように昭和六二年中に売却しなかったため損が実現しなかったとはいえ含み損が生じており、昭和六二年中の実質所得を形成していないことを量刑上考慮されて然るべきである。
(四) 昭和六一年分については被告人に違法性の認識がない
この点は前記第二点で詳述したとおりである。
すなわち、昭和六一年分における法律の認識については、昭和六二年二月に至って、始めて当時の斎藤事務長から名前を借りる際、株の取引については枠があることに気付いたという程度のものであったのが真実である。してみると、昭和六一年中における法律の認識はなかったと言わざるを得ない。それ故にこれらは被告人が、昭和六三年二月、所謂相沢代議士による株式取引ほ脱事件の報道記事を読んでも直ちにその意味するところが理解出来ず、上野の高野公認会計士方に赴いて、始めて知るに至った情況に符合するものである。
(五) 犯行(株式取引)の態様について
(1) 被告人は昭和五九年度から知人の斎藤邦紀の勧めにより菱光証券を通じて若干の株式取引を行うようになったが、被告人は同証券会社の担当者に会ったことすらなく、それも被告人の妻が発注する程度であった。
被告人が株式取引を頻繁にしかも多量の取引をするようになったのは、前記のとおり小谷を知り同人から昭和六一年七月巴組鉄工所株式の売買を勧められたのがきっかけである。
しかも、小谷の推奨する銘柄については稲村代議士から一人でやると大火傷をするから、株をやるときは同代議士に話してやるようにいわれたため、同代議士に相談の上売買したものである。
(2) 被告人は、昭和六一年七月以降光世証券東京支店、三洋証券本店、日産証券本店、勧業角丸証券駒込支店等と取引をするようになったが、光世証券及び日産証券は稲村代議士の紹介によるものであり、また、三洋証券は小谷が頼んでくれたものであり、勧業角丸証券は第一勧業株を買うよう銀行から勧められたことにより生じた一回限りの取引である。しかし、これら証券会社数社を使ったとはいえ、右のように稲村代議士や小谷から紹介されるなどしたことによるものであり、しかも三洋証券は、小谷自ら発注したものであり、被告人自身として多くの証券会社を使用することによって頻繁に取引を行い、あるいはこれにより本件の発覚を防止しようとするなどの意図は全くなかったのである。
(3) また、被告人は菱光証券、光世証券、三洋証券等における株式取引にあたり、妻をはじめ家族名義の口座の開設及び使用については証券会社の担当者から取引に枠があるから他の名義を使用するように言われたため、開設した上それらの名義で取引したものである。株式取引にあたり他人名義を使用すること自体仮装隠蔽として非難されるのは已むを得ないとしても、被告人は株の取引に関し全く素人であったため専門家である証券会社の担当者のアドバイス、示唆に従ったものであって、自ら積極的に行った場合と異なり同情の余地があるものである。
(4) 次に、被告人の株式取引は大部分が小谷、安田や証券会社の勧めによって取引したものであり、株式売買の発注は国際航業等の所謂小谷銘柄については小谷の指示どおりの価格等で発注し、その際の使用名義は証券会社に任せていたのが実情であるし、証券会社に勧められた銘柄の売買についても殆ど証券会社に使用名義を含め一任していたのが実情である。
だからこそ昭和六二年中の取引についてみると、斎藤龍彦名義の取引自体課税要件の五〇回以上の範囲を超え、八〇回以上の取引となっていたのに被告人も気付かなかったのであるし、妻節子名義の取引についてすら同様五〇回を超えていたのに全く気付いていないのである。しかも右斎藤名義については、斎藤自身も別に同人の名義の取引をしているのに、被告人もまた名義を貸した斎藤もその両者使用の回数を全く考慮に入れずに取引していたのである。この点から見ても、被告人が証券会社に名義分散を勧められて他人名義を使用したとはいえ、これに被告人が積極的に指示ないし関与しておらず、名義分散を殆ど意識しないで取引していたことが明らかであり、犯情軽微である。
(5) 被告人は小谷のコーリン産業との相対取引においても他人名義を使用しているものがあるが、これについても単に家族名義によるか、または証券会社を通じて買ったときに使用された名義により相対取引で売却したというようなものであって、確かに他人名義の使用そのものはよくなかったとはいえ、この点においても右同様犯情は軽微である。
(6) ところで、株の素人である被告人が昭和六一年と同六二年に多数回にわたり多量に株式取引をして利益を得て、これが所得を申告しなかったこと自体非難さるべきであるとはいえ、前記のとおり被告人が小谷、稲村代議士らに利用された面があったことも否定できず、犯情として考慮されて然るべきである。
(六) 税金は、修正申告のうえ完納しており、社会的制裁も受けている
(1) 被告人は、査察調査着手後、本件後関与することになった税理士にも調査に協力してもらう一方、国税局の調査により、本件に関するほ脱所得、ほ脱税額が確定した段階の平成元年三月一〇日、昭和六一年分及び同六二年分の二年分について、国税局の調査結果に基づいて積極的に修正申告を行った。
そして、これらの納税関係を見ると、本税については平成元年五月一〇日までに二年分合計八億三〇五〇万七九〇〇円全額を納付ずみであり、また、重加算税、延滞税及び地方税についても全力を尽くして順次納付し、平成元年一〇月三一日をもって本件に関する国税、地方税全額を納付している。
このようにして納付した国税の合計額は一一億九一三一万四〇〇〇円であり、地方税の合計額は二億二一七三万五三〇〇円であり、これらの合計額は一四億一三〇四万九三〇〇円にのぼっている。
この合計金額は、本件当時の最高税率が七〇パーセントで極めて高率であったことなどから、被告人が起訴されている二年分のほ脱所得の合計額を遙かに超えるものとなっているのである。
被告人が、このように本件に関し積極的に修正申告をし、多額の借入金までして納税に務めたのは、強い反省の態度と自覚の現れであり、その誠意と努力を量刑上充分考慮されて然るべきである。
そして、このように納税してきたことにより、本件ほ脱による国家課税権侵害による被害は既に回復している上、右のとおりほ脱所得を遙かに超える納税をせざるを得なかったことによる経済的負担自体が強い社会的制裁を受けたということが出来る。
(2) 被告人は今般かような大罪を犯したことに深く悔悟し、その社会的責任をとる意味において、昭和六三年八月昭和大学理事を辞任したことを始めとして、平成元年一月豊島区医師会理事、同学校保健医監事、都立文京高等学校、放送大学等の校医を辞任している。また、この事件を前後に新聞、テレビ、ラジオの報道によって、被告人の社会的地位等に対する非難は、誠に厳しいものであった。これも大きな社会的制裁である。
(七) 被告人は人望もあり、公共に貢献した
(1) 先ず大学に対する貢献については、被告人は、昭和三五年三月昭和大学医学部卒業後医師国家試験に合格、昭和四〇年三月同大学医学部大学院内科学を卒業して、医学博士を授与され、その後、学内においては、昭和四三年三月同大学医学部成人病科専任講師(昭和四四年四月日本内科学会内科専門医指導医)、昭和四六年四月同大学医学部成人病科教授代行に就任したが、当時の大学紛争等のため退職し、昭和四八年四月から山口内科、昭和五五年一二月から山口医院を開設した。しかし、再び昭和五〇年一〇月には同大学評議員、昭和六二年八月同大学理事に就任して、学内の刷新に努力する一方昭和五六年三月からは(財)昭和大学医学振興財団評議員、昭和五八年四月から同財団理事に就任して同大学の医学振興に努めている。
(2) 他方、医学研究上の業績については、先ず抗癌剤の研究を始めとして、高血圧の本態について、血圧は中枢、即ち脳の支配で血圧が変動するので、その中枢機構の研究を行い内科学会総会において発表し、大いに学会で認められたことが特に有名であり、これには、同大学医学振興財団からも秦学術賞を授与されている。
また、同大学における成人病学を確立させた功績も大きく、更に、その後法医学の渡辺富雄教授と共同でポックリ病を研究するなど医学上の功績は誠に著しいものがある。
(3) また、開業後の治療についても、被告人は、自ら山口病院において、所謂I・C・U(集中救命救急治療室)五室設け、テレビモニターのほか、心電図、血圧値、脈拍数等が全部ナースセンターに直結されて患者の救命救急を行っているほか、全身のC・Tスキャンもあり、また、癌研病院からは末期癌の患者も引き受け所謂ホスピス同様の治療を行っており、また、消防署からは、救急指名医を依頼されて引き受け、昼夜を分かたず救急医療に盡力し、そのため幾多の感謝状も授与されている。
(4) 更に地域社会においても開業後、昭和五九年四月ごろから豊島区医師会理事、同医師会学校医部理事、同区学校保健医会理事(その後監事)、また、学校医としては都立文京高等学校校医、放送大学学校医として、地域住民の医療、健康増進、公衆衛生にわたり、幅広く活動し、地域社会に貢献したことは原審において工藤証人も証言したところである。
(八) 被告人は現在大病を患っており、将来の生活設計も危うい状態にある
(1) すなわち、被告人にとっては、これも今回の制裁として受止めているが、次のような大病を患った。
被告人は、昭和六三年八月東京国税局査察部の取調を受けた際、心筋こうそくの発作に襲われて日本大学附属病院に入院し、同年一一月一日同病院で冠状動脈バイパスの手術をうけた(弁第五号証)。この手術は、被告人も供述するとおり、心臓を一時外に出して凍結させて手術するものであるが、これに加えて被告人は特殊血液体質のため手術後血液が容易に凝固しなかったため、予想外の大手術で、一時は生命も危惧された程であった。そのため、診断書にあるとおり、未だに狭心症は不安定な状態にあり、精神的ストレス等により血圧上昇(約二〇〇mmHg)や頻脈を伴い、発作が頻発しており、ニトログリセリン舌下にて急をしのいでいる状態にある。
従って、健康面においても医師として将来の生活設計は誠に危うい状態にある。
(2) 被告人の家庭の状況については、妻節子のほか、長男佳志は独協医大五年生、次男の政志は松本歯科大三年生(但し、昭和六三年九月脳腫瘍の手術を受けた)、長女享子は東京医大六年生であってすべて勉学中であり、生計は専ら被告人に依存している状態にあるが、被告人にとっても、妻節子が原審で証言しているとおり、本件の納税のため、金融機関からは約一四億円を借金したほか、自宅の土地、建物、病院の事務所、看護婦寮等を売却して返済したが、現在借入金は一九億八〇〇〇万円あり、毎月金利だけでも約一五〇〇万円を必要とし、仮に現在残っている病院の土地、建物、駐車場を売却して返済したとしても、約四ないし五億円の借金が残るという状態にあり、また、被告人の右健康状態に加え、将来、医道審議会による医療業務停止等を考慮すると、被告人に対してはこの面においても十分に社会的な制裁が科せられているというべきである。
(九) 改悛の情について
本件については原判決も指摘するとおり、被告人は当初から十分反省し、捜査当局の調べに対しては、終始協力し、特に関係者の行動についても、捜査当局の未だ知り得ないところまで積極的に供述したことは記録上からも明らかに認められるところである。検察官もかような被告人の真摯な姿勢を認め、また、前記身体の疾患も考慮した結果、被告人については所謂在宅起訴と相成ったものである。
しかも、被告人は、株は「もうこりごりです」と公判廷で述べており、また、和食公認会計士、高橋税理士による病院、家事関連等の会計処理体制を整えているのであり、今後再び本件の如き事件を起こすことはない。
(10) 小谷がらみの事件の判決における量刑との比較。
被告人は、二年分合計のほ脱税額が八億二七九〇万円余で懲役二年六月及び罰金二億五〇〇〇万円を求刑されたが、一審判決において懲役二年及び罰金二億三〇〇〇万円となった。
他方、被告人と同じ裁判所で判決のあった稲村代議士については、三年間合計で一七億二八七万円余りのほ脱額であり、ほぼ被告人の二倍のほ脱税額であったが、求刑が懲役三年六月及び罰金五億円に対し、懲役三年四月の実刑に処したものの、罰金を科さなかった。この稲村元代議士に対する判決の当否はともかく、この事件の判決と比較すると、被告人に対する判決は明らかに著しく重きに失し不当と言わざるを得ない。すなわち、被告人は罰金二億三〇〇〇万円を併科されており、その換刑処分は一日当り六〇万円である。従って、罰金を支払えないときは三八四日(端数一日換算)労役場に留置されることになるが、そうならば、被告人は懲役刑と合わせて三年と一九日間受刑及び労役執行されることになって、三年間で被告人の二倍以上を脱税した稲村元代議士との量刑が近似してしまい、被告人の量刑が著しく重くなっていることは一目瞭然である。
各事件には、それぞれ異なる事情があるとはいえ同じ株式取引で脱税した事案であり、量刑は公平になされるべきである。そして、被告人につき右のような重い罰金を併科するのであれば、懲役刑につき執行猶予に付して罰金を納付させるのが妥当である。すなわち、若し実刑とするのであれば右稲村と同様被告人に罰金を科さないのが公平な量刑というべきではなかろうか。被告人は本件について本税及び附帯税、地方税を完納しているのに対し、稲村代議士は本税等の多額の未納分があるとのことである。被告人は多額の借金を背負いながら本税等を完納したのである。この上多額の罰金を併科されるのに、他方、本税等多額の未納の者に対し、財産がないから罰金を併科せずとするのは著しく公平を欠き量刑の均衡を失しているというべきである。従って、被告人に重い罰金刑を併科するのであれば、刑の均衡上懲役刑については執行猶予に付すべきである。
なお、被告人の判決があった以降、同じ東京地裁で国際航業の元取締役である被告人浜口博光に対する所得税法違反事件の判決がなされているが、懲役二年六月及び罰金一億円の求刑に対し、懲役一年八月及び罰金五〇〇〇万円とする判決等がなされており、これら一連の事件との量刑とも比較の上、被告人につき改めて妥当な判決を求めるものである。
(二) 患者等関係者から嘆願がなされていること。
被告人はもとより前科前歴はないが、原審において被告人の懲役刑につき実刑判決があったことは、ひとり被告人のみならず、その家族、親族を始め患者等関係者に至るまで大きな衝撃を与えた。
そして、多くの患者等から引続き被告人が医師としての治療を続けられるよう、是非とも執行猶予に付して頂きたいとの真摯な嘆願がなされている。
以上、諸事情を考慮すると、かかる病弱な医師である被告人については、刑事施設に送るよりは初犯でもあるので、今回に限り、社会内処遇を選択し、社会内において更生の機会を与えるとともに、社会公共のため被告人の治療を希求する右患者らに対する医療等に従事させる方が、所謂刑事政策上の社会内処遇に適合し、その効果も期待し得るところであるので、被告人に対し懲役刑については執行猶予に付するのがむしろ妥当であり、これを付さなかった原判決は著しく重きに失し不当である上、罰金の併科についてもその金額を含め再検討されて然るべきである。